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アーティスト中心の運営を可能にするには?—もし、あいちトリエンナーレに基金があったら

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あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」をきっかけに、行政による予算であれば説明責任を果たせという責任論や、一方で行政による検閲はすべきではないという美学が飛び交う。どちらも美しい理念だが、実際の問題として「表現の自由」の質が進化していく感じはしない。それは、財源の問題まで踏み込まねば、地に足のついた議論にならないからだろう。

そこで、こういった複雑な問題を解決していくための解として「基金」の設置を考えてみた。私自身も現代アートのNPOとの付き合いを通じて、アートの可能性を体感することができたが、もしも、そのようなアートの可能性を発揮することができるような体制はどのようにつくることができるのだろうか?

「基金」は通常、資金を積み立てたり、資金を運用していくファイナンスのスキームを意味し、財源を切り分けたり、もしくは、財源を運用することで財源に持続可能性をもたせるために使われる。「基金」をつくる場合は、なんらかの形で数千万~数十億円規模の資金を調達し、調達した資金を株式や国債などで運用し、その運用益を活動資金に充当する場合が多い。上手く使えば、より低コストでより大きなインパクトを狙いつつ、財務的なリスクを下げることができる。

あいちトリエンナーレの財務構造ー予算の83%は県と市が提供

さて、まず、事実確認からいこう。多くのアートイベントと同じく、あいちトリエンナーレの予算も自治体の財源に依存する割合が大きい。れている。あいちトリエンナーレ2019の今年度の予算は約11億円。その内の79%が愛知県と名古屋市からの予算だ。

例えば、あいちトリエンナーレの財源の内、アーティストやディレクターが集めてきた財源やもしくは、アーティストの自主性に委ねられる自由度の高い予算が3分の1を占めていたらだどうなるだろうか?仮に行政からイベントの開催中止が通知された場合、自主的に開催を継続できたり、それを機にさらなる自立や表現の確立を目指せるかもしれない。

11億円の3分の1というと、3.6億円という大金になるが、トリエンナーレは、3年に1度のイベントだから、実質はその3分の1程度で済む。さて、11億円の3分の1を自分たちで捻出するという前提で基金をつくるとすれば、どれくらいの規模が必要でどういうパターンがありえるだろうか?

もし、あいちトリエンナーレに30億円の基金があったら

結論から言えば、約30億円規模の基金が組成できれば、かなりの程度自立した運営が可能になる。今回のあいちトリエンナーレ2019では、「表現の不自由展・その後」に充てられた予算は少なかったが、全体の予算の中で行政の予算は大変を占めており、その中で行政の意向に反する意見を決定していくにはつらい財務構造だった。もしも、3分の1でもアーティストたちの自主財源があれば、ひょっとして「表現の自由」を積極的に守り抜いていくような方策を決定することもできたかもしれない。

我々の財団で運用する場合、運用利回り4%を目標にしているので、もしも30億円集めることができれば、年間で1.2億円、3年間で3.6億円の自主財源が創出できる。これは、あいちトリエンナーレの予算の3分の1とほぼ等しい。もちろん、運用成果は変動するし、資金調達の費用も考える必要がある。だが、「表現の自由」を守るには、このくらいのことを考えないと現実論には落ちていかないのではないだろうか?もちろん、「表現の不自由展その後」だけを自主展開するのであれば、基金の規模はもっと少なくて済む。

アームズレングス―アーティスト中心の運営を可能にするには?

もちろん、実際に基金をつくり、資金を配分するにはうまいやり方が必要だ。アーティストが中心になれる基金をつくったとしても、出資した誰か余計な指図だけを加えては、同じことの繰り返しになってしまう。

そこで重要なのは「アームズレングス」(arm's length principle)というキーワードだ。アームズレングスは出資者が「金は出すけど、口は出さない」という態度をあえて取ることを意味する。アームズレングスの由来は名の通り、腕を振り回してもあたらない距離を取ろうね、ということだが、アームレングスは出資者とアーティストが双方を対等な存在だと認め、互いに独立した意思決定主体であったとしても、その目的が達成されるようなガバナンスを目指そうとする。

そもそも、出資者にとっても、補助や投資をしたりすることは、選択的に主体の外部化を目指している。つまり、あえて自分たちでやらないという選択をしている。地方自治体であれば、地方自治体の職員だけでアートイベントをやってもうまくいかないから、アーティストたちと実行委員会をつくり、アートイベントを企画する。にもかかわらず、失敗の恐れから、適切な権限移譲がなされないことが多いのだ。これを乗り越えるための発明がアームズレングスだった。金を出したからには、当事者がもっとも作品に集中しやすい距離まで離せということだ。

具体的には、アームズレングスは契約や組織構造に組み込まれることが多い。例えば、あいちトリエンナーレだと、行政は金は出すが、当日の内容には関知しないということを明文化して合意しておいたり、さらには、それを反映させることが可能な意思決定構造を埋め込んでおくことだろう。それは、実は、出資者を守る場合も大きい。

アームレングスのメリットは、アーティストに予算の執行を含む自由度が与えられ、その結果、より大きな成果やより良い作品、より良い展示が可能になるという点だ。が、もちろんリスクも存在する。それは、お互いが対等な存在だからこそ、行政や出資者の意向が反映されないということだ。

アームズレングスの限界を越えて―表現の自由は自らが守るもの

さて、アームズレングスは理想的にみえるかもしれない。ただし、限界は大きい。アームズレングズは強者の善意にもとづくものだからだ。芸術振興におけるアームズレングスは欧州で先行しているが、詳しい友人に聞けば、欧州ではアームズレングス自体の名誉や規範が随分と確立されているという。

友人によれば、形式として、日本でもよくある第三者委員会のような組織形態をとることは多いというが、それでも形骸化しないのは、第三者委員会にあたえられる機能、規範そのものが明文化して認められ、またそれを守っていくこと自体が名誉として機能しているからだという。裏を返せば、それは、資産や権力を持ちながらも、アートの真価やアーティストの可能性を知っている人口の多さによるものかもしれない。

これに近づくにはどうすればいいだろうか。それは、やはり、アーティスト=表現の当事者にパワーバランスを戻すということではないだろうか?つまり、3分の1で良いから、アーティストやディレクターが主体的に企画編成できる予算をつくるということだ。もし、それを基金でやるなら、30億円の基金が必要だ。こういう話をしていると、そんなに集められるのか?とも言われるのだが、さて、集めるのならば、どんなパターンがあり、課題があるのだろうか?

実際集められるか―どのような基金のパターンがあり、課題は何だろうか?

まず、基金は、通常、寄付ではなく出資で集めることが多い。したがって、出資者には元本が返済されるので、一桁違う金額、時には、二桁以上違う金額が集まる。あいちトリエンナーレであれば30億円というのありえる数字のようにも思える。もちろん、資金管理や運用体制の整備も求められるので、安易に取るべき策ではない。

しかし、もしも、本格的に基金をあつめるなら、三つのパターンがあるだろう。①アーティスト中心、②個人出資、③行政出資の三パターンだ。実際にはいずれかの折衷案にはなる。

海外の事例を見ると、案外、アーティスト自身が基金や財団をつくるケースも多い。日本だとAP Bankが近いだろうか。アーティスト自身が自分たちの表現の自由度を守っていくために基金や財団のスキームをつくっていくのだ。きちんとしたバックオフィス機能を提供できる財団と組めれば、これもかなり機能するはずだ。

もちろん、個人出資や行政出資もありえるが、今回のあいちトリエンナーレでも見え隠れするようにパワーバランスの問題は大きい。金を出した人の力は、出資した者が自分自身で思うよりもずっと大きいのだ。この中でアーティスト中心の運営体制を考えるには、工夫が必要だ。そして、個人や行政自身もどこまで口を出すかは意識的にデザインした方がいい。クリエイティブなものほど、失敗の恐れを抱き、手を出しすぎて、自ら舞台を壊しに行ってしまうというパターンは少なくない。その際は、アームズレングスが参考になる。

基金の設立にご興味あれば、問い合わせください!

我々の財団では基金の設立を手掛けてきたが、随分とコツがわかってきた。それは、基金を通じて、資金を増やしたり、資金を適切な主体に分配することだけではなくて、利害関係を最適化することが重要だということだ。アートイベントであれば、アーティスト中心がいい。だけれど、そのデザインは、案外難しい。パワーバランスの問題は予算編成や財源の問題まで立ち戻らなけれならないからだ。

ちなみに我々の財団では、基金の企画から運用、助成まで一気通貫で請け負っている。しかも、これまでの形の基金より随分と低コストで運営できる。基金設立に興味のある方はぜひお問い合わせ願いたい。

ちなみに、ちらっと仕事をさせて頂いていた国際交流基金(外務省管轄)やアーツカウンシル東京(東京都管轄)も良い仕事をしている。アームレングスとまでかはわからないが、彼等も中央行政や都行政から適度な距離を取りつつ、アーティストのために知恵や汗を絞っている。

最後になるが、僕も現代アートのNPOに一つ関わっていたけれど、彼らの持つ奇想天外な想像力がもっと世に良いかたちで拡がればと思ってやまない。

以前、筆者も参加した六本木アートナイトで行われた「クラシックなラジオ体操」朝6時に六本木ヒルズのアリーナで行われる。参加するには徹夜せねばならない。

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